【Vol.7】あの日の記憶

こんにちは。【からだ対話師】のbuckeyです。

2011年3月11日。
この日から5年が経ちましたね。

被災地の方の思いは、私には想像でしかなく何の力になれていないのが、申し訳なく思っています。

この日の出来事は鮮明に覚えています。

新浦安駅前にある商業施設のサロンに勤めていて、出勤してました。施術中でもありました。

今まで地震があっても動揺せず仕事を続けていましたので、続けました。

でも長い上に立ってる事もままならず、しばらくして天井から滝のように水が流れてきて、吊るしてあったシャンデリアはブンブン回ります。

お客様には一旦落ち着いたタイミングで、すぐ着替えて頂き外に避難してもらいました。

あの状況は、不謹慎だけど何がなんだか分からず笑うしかない(^^;

ちょうど滝の下は、荷物置き場だったので、最低限の荷物を濡れながら出して、我々も避難。

外は既に液状化してて、ロータリーに停まってたタクシーのタイヤは埋もれてて身動きが取れない状態で、運転手の方が気がかりでした。

ワンセグで事を知りました。

家族に連絡して、父は仕事で母は病院、妹は自宅にいて、バラバラだけど無事を確認出来たし、私は3人のスタッフがいてくれて1人じゃなかったので、安心しました。

帰りは、他のスタッフが車を出して送ってくれたので、翌朝に自宅に着きました。
(彼は一睡もせず、運転し続けてくれてたので感謝しきれません。)

1人で自宅にずっと居た妹は、私の顔を見るなり、号泣です。そしてずっと起きていたからと泣きながら寝てしまいました。

その日からお店の大掃除やら計画停電中、一時営業停止などありましたが、私はすぐ日常に戻りました。
浦安市民の方は下水道が一部の地域が使えず、苦労されたとお客様から伺いました。

私は思いました。
もし妹のように1人でいたらどうするんだろう。
普通の生活が出来なくなったらどうするんだろう。

咄嗟の出来事には、臨機応変に対応する事を苦手とするものですから、心配になりました。

「人は1人で生きていけない」
なんて、良く聞きますが、正しく私の事です。

でも私と同じような方がいたら、微力ではありますが、お力になりたいとも思います。
分からないけど、ごく稀にすごい力を発揮する事があるかもしれないし、笑

当時の事を思い出したくない方には、申し訳ない事を書いておりますが、3月11日が来る度にこの事を思い出します。

私の先輩は、震災時に仲間と出しあって結構な額を寄付したようです。凄いです、尊敬します(>_<)

私はそのような事は出来ないけれど、小さくても目の前の方の事を思い、役に立てる事をコツコツやっていこうと思います!

今日は身体の事ではありませんでしたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございますm(__)m

buckey